ベンチャー物語

Story

創業者、久保敏志がエスケイジャパンをゼロから立ち上げ、1999年に上場するまでの軌跡をまとめた物語。

文字通り叩き上げで成長を成し遂げた、弊社の「創成期」のご紹介です。

弊社をより深く知っていただく一助になれば幸いです。

設立

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創業者久保敏志は1961年6月9日、長崎県福江市に生まれた。少年時代は地元の自然に囲まれた大地で過ごし、 長崎県立五島高校に入学した。高校時代は典型的なやんちゃ坊主で、担任の先生をよく困らせたという。 1980年に高校を卒業すると進学せずに、故郷を離れて福岡市のおもちゃ卸会社に就職した。入社当時は社員3人の零細企業だったが、 10年間で年商7億円、社員20人の会社に成長し、その中でも久保の営業成績はトップで大阪営業所長も任され、 「この会社はオレが支えている」という自信に満ちあふれていた。

しかし、この思いとは逆に、会社が大きくなるにつれ風通しの悪さを感じる。 「売れなかったらメーカーに返品すればいいじゃないか」「そんなことされたら売る気になりません」。 上司が自分を認めてくれない。自分の提案したオリジナル商品の開発が「リスキーだ」とはねつけられると、 会社への愛着がなえてしまった。それと同時に、自分の感性を頼りにキャラクターを発掘したいという思いが急速に高まった。

 

1989年11月。辞表を提出し、あえてボーナスをもらわずに退社した。 当時持っていた自宅マンションを売り、ローンの残高を清算して残った500万円をもとに独立を決意。 大阪市天王寺区に「エスケイジャパン」を設立したのである。事務所は以前からの取引先の好意で、その会社の一角を間借りした。

 

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メーカーからぬいぐるみや雑貨などを仕入れ、大阪・船場の現金問屋 に売りさばいた。売り上げを回収したあとに、 その現金を持ってメーカーを回り、商品を仕入れるという自転車操業だった。以前取引のあった大阪市内のメーカー20社のうち、 独立した久保と取引を開始したのは5社。当然、久保が勤めていた以前の会社との関係を”優先”するからである。 現金を机の上に置いて「分けて下さい」と持ち掛けても、仕入れ先から(SK JAPANと取引したら今までの取引は打ち切る) と前の会社から圧力をかけられたこともあった。資金繰りは悪化、手持ちの資金は瞬く間に180万円に減った。

その日もある問屋の社長を訪ねていたが、独立した久保をなかなか信用してくれない。 あきらめかけた時、その社長は「ところで、今こんなん売れてるで」と山積みのダンボール箱を指した。 キティちゃんの絵が付いたくしやコップなど「100円均一」用の商品であった。福井県のおもちゃメーカーの商品で、 関西に販路を広げようとしているという。その問屋の社長の紹介で早速、メーカーの担当者が久保の会社を訪ねてきた。 しかし、事務所といっても別の会社の事務所の一角に机を並べただけである。 入り口にセロハンテープで貼った手書きの「株式会社エスケイジャパン」の紙を見て、「お宅大丈夫ですか?」と担当者も不審な顔をする始末。 信用などまるでなかったが、それでも久保は、「ホラは吹くけどウソはつかん」と、 九州なまりで熱っぽく口説いて、その日のうちに契約を交わした。

この取引がきっかけで経費をねん出できるようになり、出張も可能になった。 新幹線で西へ向かい、停車駅ごとに下車して取引先を開拓する。100円均一セール用商品という目新しさもあって売上はどんどん増え、 ついに独立4ヶ月後の1990年3月期決算は3000万円の売上で、経営損益はわずか17万円だが黒字になった。 久保の資産は「ガッツとバイタリティー」だった。

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