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ベンチャー物語
Story
久保は積極的に行動を起こした。高校の同級生で、当時福岡で会社員をしていた八百博徳(現・社長)、東京では、中華のコックをしていた中村英記(元・取締役)をスカウトするなど、久保は熱意と、人とのつながりで事業を拡大していった。間借りだった大阪本社事務所を移転し、営業社員も2人採用した。東京進出を決意した久保は、1992年6月、東京・日本橋の問屋街にワンルームマンションを借りて、そこを仮事務所にした。月曜の朝上京し、金曜日まで事務所で寝泊りをし、大阪の取引先からの紹介状を手に問屋やメーカーを以前コックの中村と一緒に回ったのである。しかし、大阪では新規でも取引に応じてくれたが、東京ではそうはいかなかった。壁にぶちあたったのである。「ウイークデーは出張。おまけに金曜の夜の帰宅は部下を連れて」と、新婚生活にひたる暇もなかったと奥さんの泰子さんは当時のことを振り返る。
東京に進出して半年後、いつものようにスーパーで取引を断られた後、屋上に向かった。ベンチに座り、ゲームセンターをながめながら考え込んでいると、クレーンを使ってぬいぐるみをつり上げるゲームが目に入った。「これだ!!」。公衆電話に飛びつき、社員に連絡をし、「クレーンゲームについて調べてくれ」と指示を出した。ちょうどその頃、大阪では、百貨店のゲームセンターに卸していたぬいぐるみや雑貨の扱いが急増していた。「これからのターゲットは、アミューズメント業界だ」と確信したのである。クレーンゲーム自体は歴史は古いが、景品に魅力が少なく、長らくゲームセンターの片隅に置かれていた。しかし、アンパンマンなど人気キャラクターのぬいぐるみを景品にし、ゲーム機のデザインや性能も向上させた「UFOキャッチャー」がセガより発売され注目を集め、「インベーダーゲーム」に続く爆発的なヒットになり始めていたのである。
エスケイジャパンの扱っていた商品もサンリオキャラクター商品やおもちゃメーカーのぬいぐるみや雑貨等のファンシーグッズであり、商品イメージや人気キャラクターが、家族や女性にも楽しむことができる新しいクレーンゲームの景品にピッタリだったのである。アミューズメント業界の専門雑誌などをもとに、クレーンゲームの置いてありそうなゲームセンターや遊園地、テーマパーク等をピックアップし、片っ端から飛び込んでいった。これが大当たりし、業績が急拡大したのである。